ノースカロライナ出産体験記

<はじめに>

海外での出産は今ではめずらしいことではなくなりました。日本では子供のアメリカ国籍取得のためハワイ出産旅行が流行しているという噂も聞きます。海外出産関連の書籍も豊富にあり、インターネットの普及により外国にいても日本語情報が簡単に手に入れられるようになったことは、海外での出産が増加している現状と無関係ではないでしょう。

とはいっても、特に初めての出産を海外で体験することにはいろいろな不安がつきまといます。今回は日本からの応援を頼まず夫婦二人きりでの出産でしたので、こちらで手に入る情報はすべて利用しました。確かにWebsiteは役に立ちましたが、こまめに更新されていない、現地情報には地域差があるといった不満も残りました。そこでお役に立てるかどうかわかりませんが、とにかく忘れないうちにNorth Carolinaでの出産体験をまとめることにしました。多少話の練れていない部分もありますが、このレポートが当地で出産をひかえておられる皆さんの参考になれば幸いです。また、出産に関係のない方にも楽しく読んでいただければと思います。もっと情報が欲しい、ここが聞きたいという方はどうぞ遠慮なく下記まで御連絡ください。なお、このレポートは2002年9月現在、Duke University Medical Centerにおけるものであることを再度お断りしておきます。

小谷 真理子・透  kotani@duke.edu

1. 医療保険の話Part1−妊娠保険入った?

日本から加入してきた傷害保険には出産に伴う医療をカバーしてくれるものはほとんどありません。
そこで我が家でも渡米後現地の保険に加入しました。気をつけなければならないのは現地で加入した保険もベーシックなプランでは出産はカバーされないということです。出産のためには基本プランに加えて「maternity coverage」をオプション契約しなければなりません。我が家が加入した保険はPPO(注1)で、保険料は基本プランが月200$程度なのに対し maternityはそれだけで220$とかなり高めです。しかもmaternityだけの加入はできません。ただし、このプランでは妊娠中の諸検査(超音波検査も含む、後述)、出産時入院に関わる諸費用がすべて含まれます。我が家の場合、月々の支払い以外には「Out of Pocket」分の2000$程度+子供の診察費のco-insurance分が請求され、結局お産にかかった費用は保険料込みで6000$程度になりました。ちなみに5年ほどまえに同じ地域で保険に加入せずに出産された方のお話では合計で100万円(7500〜8000$)ほどかかったといいますから保険加入のほうが少しは安いかもしれません。勤務先で保険加入された場合は会社により状況はかわりますので一度調べておくと安心です。Dukeにお勤めで Duke Health Systemに加入されている場合は100%カバーされるそうです。

注1;保険を受けられる地域、病院やスタッフが加入した保険により異なります。選択肢が広がれば当然保険料は高くなります。PPOは受診先の制限がほとんどありません。文中の保険システムの話や専門用語は当日本人会HPにリンクしている研究留学ネットで詳しく紹介されています。
http://www.kenkyuu.net/guide-5-06.html

<こぼれ話>
私達は渡米後すぐに現地の保険に入ろうと計画しておきながら、結局忘れていました。妻が生理が来ないと言いだしてから「そういえば保険どうしたっけ??」と思い出し、あわててその日に保険会社に契約しに行ったという始末でした。妊娠がわかってからではmaternityのカバーには入れないので内心ヒヤヒヤしていましたが、「予定日は最終的に本人の最終生理日の申告で決まる」という確信のもと、ちょっとだけ(最終生理日を)遅らせて申告し、無事カバーされました。保険料も10ヶ月分ではなく、保険が有効となるまでの1ヶ月半を除いた8ヶ月半の支払いでOKかな?とセコイことを考えていましたが、産後の診察(6週後)まではカバーをはずせないので結局10ヶ月分でした。とにかくめでたしめでたし?。

2. アメリカの診療方式−医者・病院はどうやって決めるの?

出産は勤務先の病院でと決めていたので簡単でしたが、問題は医者選びです。これといって選択の基準もないし、試しに小さな子供のいるアメリカ人の同僚に片っ端から聞いてみました。ところが、答えはバラバラで同じ医者の名前は聞くことができず、結局自宅から一番近いSouth Pointの診療所に勤務している産科医を選びました。診療所と大学病院との一番の違いは空いているということです。最初の1、2回はDukeで診察を受けたのですが、待合室が複数の科と共有なので座る場所がないことがあります。また、Dukeの最大の問題点ですが、駐車場のスペースが充分ではないのでかなり余裕を持って通院する必要があります。この点、診療所ではそんな心配はありませんでした。

ここで診療体制のシステムをご紹介しますと、医者は5,6人単位でグループを作りグループ内の医者の受け持ち患者はグループ全体でフォローしています。外来診療は完全予約制なので、診察が終わったら受付で次回の担当医・診察場所・時間を決めてから帰ります。診察場所はDuke大学病院と3つの診療所(ダーラムの中心街、South Point、Chapel Hill)の中から選択できます。このシステムのメリットは選択肢が多く融通が効く点です。特に医者側としては急な用事や学会参加などでスケジュールがタイトなときお互い同じグループ内で交替し合えるのでなかなか魅力的です。デメリットとしては、場所・日時・ドクターの3つを完全に患者がの希望どおりに指定するのが困難なことです。2ヵ月先まで予約がいっぱいといわれたこともあります。またいざお産となってもこれまで外来で指定していた医者が来てくれるか保障はありません。我が家では場所を最優先し、次にできるだけ同じドクターを指定し、日時はドクターの都合にあわせていました。

私達の選んだグループは全員女性の産科医でした。意図したわけでなく偶然です。担当してもらったのは5名のうちの2名だけでしたが、皆さんとても親切で妻はとても信頼していました。個人的には女性のドクターでとてもよかった気がします。ただ、出産の時は室内に男性は旦那ただ1人だったので、女性同士の強いきずなと連帯感に取り囲まれタジタジの感じでした。

DukeChapelにて

Duke Chapelにて

<こぼれ話>
「真の予定日」(病院に言った予定日より約10日早い)間近となったある日、クリニックでいつもの受持ち医が「今度の土日が当番なの、会えるといいわねぇ。」と言うの聞いて、妻が「何としても今週末産んでやる〜〜」と鼻をふくらませておりました。そして金曜日、夜中から陣痛が始まり、やがて7分間隔に。「この調子で進んだらいつものドクターかなぁ」と考えながら、不覚にも眠ってしまいました。気づいたらもう明け方。陣痛で苦しむ妻をおいて寝たことを一生恨まれると思いつつ、あれっ、妻はどこじゃと探したら、リビングのソファでこれまた熟睡。こいつ何でこんな所で寝てるんじゃ?陣痛はどうなったんだろう?、まあ、いいか、とにかくお産は体力だからモ一度寝ましょう、とベッドに戻り、次に目覚めたのは昼近くでした。土曜日は妻の誕生日で「何としても同じ誕生日にしてやるーー」と盛んに家の中をのっしのっしと歩き回るのでしたが(前の日も歩き疲れてソファで寝ていたのでした)何事もなく時は過ぎ、そして日曜になろうとしたころから来ました来ました陣痛が。今度は5分間隔まで一気に進み、無事入院。部屋で待つこと4時間、いつものドクターが「あら、ほんとにきたわねぇ」とやってきました。やはり本人にとっては同じ医者に立ち会ってもらえることは何より心強かったようです。

3. 外来通院−日本は過保護?

保険が有効になるのを待って病院に電話しました。産科(OB)ナースに繋がるとまず市販の判定薬でチェックしたかどうか聞かれました。もちろん病院でも再度チェックするのですが、改めてDo it yourselfの国だなあと実感しました。外来で検査したのは下記の項目でした。

妊娠判定、血液検査一般、体重測定(毎回)、各種ウィルス抗体価(免疫があるかどうかのチェック)、胎児マーカー(染色体異常に関するもの)、糖尿病の有無(糖負荷試験、妊娠中は通院ごとに尿糖のチェック)、子宮頚癌検査、産道感染の有無(β溶連菌のみ)、婦人科疾患の有無(感染)

糖尿病検査ではグルコーラというコーラ味の糖を飲まされます。聞いてはいましたがこれが相当甘いそうです。妻は女性なのに甘いものが余り好きではありません。“甘いもの好き”な人でもこれは結構辛いでしょう。妻曰く、「ほとんど吐きそうだったけど腰に手を当てて一気飲みしてやったわよ、ハハハ」

検査結果については異常があれば数日後に電話がかかってきますが、問題なければ何も言われません。気になる人は自分から尋ねるようにしましょう。

外来通院は妊娠32週から隔週、36週から毎週となりますが、それまでは何かの理由がないと基本的には通院はありませんでした。唯一、5ヶ月目に行った胎児超音波検査(資格を持った技師さんが行うもので医者は同席しませんでした)とその結果を説明する(さすがに医者が説明してくれました)ための予約があっただけです。ちなみにこの超音波検査では子供の性別を知りたいかどうか聞かれます。Noといえば調べません。内診は32週までなし。結局28週までに医者に会ったのは2回だけ。体重・血圧測定と尿検査が終わればいつも「何か変わったことは?」「痛みは」と聞かれるだけで2分で診療は終わります。妊娠中の旅行(3ヶ月時と7ヶ月時)についても2つ返事でOK。とにかく普通に生まれるのが当たり前という前提のようですから、自分から異常を訴えない限りなかなか病院には行けません(笑)。日本の診察は本当に丁寧だし細かいところまで気を遣っているのがよくわかりました。反面、日本の交通事情で何度も通院させるのは酷かなという気もします。病院に行かなくてもいいのはそれなりに楽でした。日本は過保護すぎるのかなとも思います。

我が家の周辺に出没したこの野ウサギも今年は3匹の子供を産みました

ウサギ

<こぼれ話>
最初の受診日はまずOBナースによる患者情報作成で始まります。医者じゃないところがアメリカですね。ところが、OBナースの予約が向こう1ヶ月半一杯で、病院に初めて行ったのは妊娠3ヶ月、その後1ヶ月でようやく医者の予約が取れました。妻は予約の電話を切った後、「早くしてくれないと医者に会う前に子供が生まれる〜」とつぶやいていました。旦那は「神様は助けがなくても産めるように動物の体を作ってくれたんだから病院なんて行かなくても大丈夫!」と終始強気でした。

4. アメリカの医療費−絶句!

アメリカの医療費が高いというのはよく知られた話です。日本で10万円の盲腸の手術がこちらでは一桁違います。その上、入院期間は半分以下ですから痛くても退院しなければなりません。話は逸れますが、早く退院させなければならないので手術の麻酔もできるだけ後に残らないように、吐き気などの副作用が出ないようにしなければなりません。放っておくと医療費はうなぎのぼりになるので保険会社などから医療費の査定が常に入るようです。新しい治療法を評価する場合も医療コストが安いかどうかは重要なチェックポイントになっています。それでも日本の10倍以上は請求されます。

医療費の患者への請求は保険会社を通して行われます。まず、病院が保険会社にかかったコストを請求し、保険会社はあらかじめ病院側と話し合っておいたルールに沿って支払うべきものとそうでないものを振り分けます。その後、患者の加入しているプランに沿って請求書を書き上げるようです。我が家のプランではほとんど保険でカバーされるので細かい請求内容までは送られてこなかったのですが、一部届いたものをご紹介すると(すべてアメリカドル)

妊娠判定 67$  超音波検査 334$  糖尿病検査(糖負荷試験) 87$  出産のための入院費(2日間) 8,074$  子供の入院費(2日間) 915$

ちなみに子供の入院費には出産直後行われた検査の費用は含まれていません。驚きなのは妊娠中の超音波検査など、日本では妊娠中期からはほとんど毎回でもしてくれるうえその費用は請求されませんが、こちらでは1回しか保険ではカバーされません。2回目以降は有料となり、その費用はご覧のとおり1回あたり 300ドル以上です。こちらでは技術料の評価が高いのと、異常なまでに人員を投入するので人件費というコストの上乗せが馬鹿にならないのでしょう。 Dukeは患者輸送ヘリを3機も持っていますが、その値段が上乗せされているわけではないでしょうが..

病室からの風景。ヘリの発着シーンはなかなかの見ものでした。

ヘリ

<こぼれ話>
最近みたニュースでアメリカにも超音波検査で子供と「面会」させてくれる商売があることを知りました。ただし、商売ですから当然有料です。値段は$60〜120と先ほどの請求額に比べると安く結構繁盛しているようです。これに対してもちろん反対意見もあります。医師たちは「超音波が人体に害がないといっても安易に頻回に使用すれば何らかの影響は起こりえる」「医学知識に明るくない人が画像を読むことで間違った知識を両親に与えてしまう」などと非難しているようですし、FDA(アメリカ食品医薬品局)も医療機器の無許可使用と警告しています。しかしこんなビジネスチャンスを見逃すはずはないでしょうね。

5. 医療保険の話Part2−クレーム出しました?

実は保険のカバーが確定するまでにはやはりいくつかの関門がありました。診療を受けると1月毎に会社から説明書が届けられ、その診療で発生した医療費と保険がカバーする額が記載されています。

最初の3ヶ月は受診するたびに(といっても最初の看護婦さんの問診を除けば1度だけですが)保険会社から100%自分で支払えという旨の説明書が届き、そのたびにカスタマーセンターに電話をしなければなりませんでした。しかも、この電話は最初はおなじみの音声テープでAttendantに繋がるまでの最低 5分間はずっと同じテープを聞いていなければなりません。いつも思うのですが、この音声テープの類は顧客が電話するのを諦めさせるためのもののような気がしてなりません。

さてようやく電話が係に繋がったら今度は加入した保険がカバーしてくれるはずだとクレームを出さなければなりません。これがまたひと仕事で慣れないうちは結構気が重い作業でした。無事クレームが通ると再度説明書が送られてきて支払額は$0となっていました。それでもまた次の診療の後にはカバーしないという手紙が届き、クレームを出して再度認められるの繰り返しでした。おかげでこの日以来、我が家は督促状が来るまで放って置こう主義に転向しました。

もちろん診療の中には保険でカバーされないものもあるので保険料以外の支払いもあります。支払額はまず保険会社からの説明書を確認し納得できなければクレームします。説明書は単にその時点のまとめのようなもので加入者からのクレームが通れば変更されます。クレームをださなければ後日診療施設から請求書が届きます。

面白いのは保険会社からくる説明書と診療施設からくる請求書の額が、同じ診療内容に対する請求にもかかわらず違ったりするのです。また診療施設からくる請求書でも病院から直接来るものと外部の請求センターからくる請求額に差があるのです。計算ちがいなのか何らかの交渉が行われたからなのかわからりません。とりあえず我が家では一番少ない請求額を支払ってきましたが、たとえ支払いすぎてもその分はクレジットされて次回支払い分の中で相殺されるはずなのでご安心を。

お世話になったメディカルセンターの正面玄関

メディカルセンター

<こぼれ話>
保険加入後も個人データがアップされないためかあまりに何度もカバーしないという手紙がくるのでさすがに頭に来た旦那は「いったい、君らは本気でカバーする気があるのか」とかなりきつめに話したところ、次回からこの手のトラブルは一切なくなりました。これって怒ったもの勝ちなのでしょうか? こういうときに限ってスラスラと英語が出てくるから不思議です。

6. 妊婦は体力−やりすぎ?

日本では妊娠中はとにかく安静というのが常識のようですが、こちらでは予定日ぎりぎりまで仕事をしている女性をよく見かけます。妻の同じラボの女性研究者も1週間ほど姿が見えないなと思っていたら突然ベビーカーを押して現れました。「いつ生まれたの」と聞いたら「一昨日」。まさかもう仕事するんじゃないだろうなと見ているとさすがに1時間ほどで帰ってくれました。

話を戻しますが、出産前にはじっとしているより適度な運動(ここが問題ですが)を続ける方が出産が楽というのがこちらの考えのようです。また、体重もどんどん増やしなさい(30〜40ポンド増)というのがアメリカ流で妻は通院のたびに体重が少ないと言われていました。郷に入っては郷に従えと、妻は体力作りのために7ヶ月まではテニスもゴルフも週1ペースでやっておりました。5ヶ月になったある日、近所のゴルフ場ではスタータ(スタート時間の調整と支払いの確認をする係のことでリタイアされた年配の方が多いようです)のおじさまから「妊娠してるの」と聞かれ、「そろそろやめなきゃねー」と答えたところ、なにやらゴソゴソ出してきたと思ったらゴルフ雑誌のある部分を指差しながら「この女子プロは7ヶ月のとき出場して優勝してるんだよ。お前さんもまだまだ頑張りな」と励まされました。8ヶ月目からはさすがにお腹が目立ち、いろいろと支障がでてきたので毎日の散歩(3km)だけに控えましたが、結論からいうと産後の回復は早かったのでやはり役に立ったのでしょう。一緒にお付き合いいただいた皆さんには毎度ご心配をおかけしました。
妊娠中のお遊びの数々。左上から右下へ順に

Key LargoでのSea Kayak(3月)、Baltimoreのカニ料理店で(6月初旬)、Delicate Arch(6月下旬)、Raleighのゴルフ場(7月)。

いろいろ

<こぼれ話>
妊娠中旅行も普通にしていました。3ヶ月目には以前から約束していたのでフロリダ・キーウエストまで車旅行をしました。5ヶ月後半にはボルチモアにイチローを見にも行きましたし、アトランタでの学会にも車で出かけました。極めつけは7ヶ月になろうとするある日、朝起きたら何やらムヅカシイ顔をして妻が座っているので、どうしたの、と聞くと、「悔いを残すのは嫌だからやっぱりグランドサークルの国立公園めぐりに行く。もうあまり日がないから来週行く」と宣言されてしまいした。この旅行は妻がアメリカ滞在中最も楽しみにしていたもので、ほんとうは夏休みに行くつもりが妊娠のため断念したのでした。5日で準備しいざラスベガスへ出発。そこからレンタカーで6泊7日のドライブです。途中1kmから5km程度のトレイルを10本以上こなしました。Arches国立公園のDelicate Archをめざすトレイルでは、雲ひとつない40℃の炎天下、ほとんど日陰もない高低差150m、往復2km強の山道を踏破しました。きつかったけどアーチに出会えた感動で疲れも吹き飛びました(写真左下)。帰り道、倒れそうになりながら登ってくる女性に「あなた、ひょっとして赤ちゃんがいるんじゃないの(Are you carrying your baby)?!」と尋ねられると、「Yes, I am!」と言って胸を張った妻が印象的でした。
注意:良い子の皆さんは決して真似をしないでください。

7. 母親学級−行きますか? 

学級には有料のクラスと無料のクラスがありました。有料のクラスの例としては子供の救急蘇生がありますが、ほとんど常に満員だそうです。無料のものには、 Breast Feeding、Child Care、病院見学ツアーがあります。私達はある程度お産の知識がある(と信じていた)のでお金を出してまではと消極的でした。一方で予想はしていましたが、無料の母親学級は正直言ってあまり役には立ちませんでした。もちろん、有料だからといってどれだけ役に立つか保証の限りではありませんが...

ツアーで得た知識は入院の仕方です。こちらでは外来診療はほぼ完全予約制ですから、予約のない患者はたとえ出産でもすべてED(Emergency Department; DukeではERでなくEDと呼んでいます)経由となります。聞いた限りではEDはアメリカ全土どこへ行っても悪名高き場所で、痛くても立って待たされる、最低4時間はかかる、サービスの割に料金が高い、など評価は散々です。ただし、お産だけは入り口は同じでも中に入ると待たされることなくほぼ直行で産科病棟まで行けます。ツアーではEDに来るまでの道順も教えてくれます。Dukeは駐車場事情があまりよくないので、入院時にはED前で車をValet Parkingに預けるのですが、入院が確定したら(せっかく病院に来ても帰されることがある、後述)付き添い者が別のパーキングビルまで移動させなければなりません。このあたりの細かいことも説明してくれました。さらに39週になった時点でのクリニック受診日には再度ナースから入院する時はどうするの?と確認されます。

一連の説明の後は実際に病室を見て歩きます。どこもそうですが病院の中は迷路のようでいつでも迷子になれそうです。ツアーの参加者はみんな一目で妊婦とわかる人ばかりですのでさすがにもうすぐお産なんだという実感が湧いてきます。収穫の少なかった母親学級でしたが、唯一、病院見学のツアーだけはお薦めです。旦那さんも是非一緒に参加してください。

陣痛が5分間隔となりいざ病院へ!

病院へ

<こぼれ話>
妻はBreast Feedingのクラスだけは期待して行ったようですが、人工授乳の盛んなアメリカでは単にBrest Feedingを奨励するためにこのクラスをやっているようで、具体的なやり方の説明はほとんどなし。約3時間息もつかせずしゃべりまくるナースと、隣でしきりに扇子を扇ぎつづける女性の荒い鼻息と、襲いくる眠気と、痛くなるおしりとの闘いで終わりました。行かなくてよかった(旦那談)。

8. 入院−させてくださーい

お産のための入院は合計で48時間しか保険でカバーされません。聞くところによるとこれでもマシになったそうで、クリントン大統領の奥さんのヒラリーが改革するまでは、ほんの2,3年前までは24時間だけのカバーだったそうです。

話を戻しますが、そういうわけですから病院としてはあくまで患者の経済的な面を慮ってできるだけギリギリまで自宅での待機を勧めます(待機するよう脅されるという意見もあり、笑)。特に出産に時間のかかる初産婦はなかなか入院していいわよと言ってもらえません。

病院からの説明では出産のため入院したいという電話をするには、
1. 陣痛が5分間隔で1時間以上続くこと
2. 我慢できないくらいの痛みがある場合は8分間隔でも可
の条件を満たすことが必要です。しかしこれを満たしたからといって電話しても即入院OKにはなりません。「試しに熱いシャワーを浴びてみれば?」「あなた、初産よね。なかなか進まないから3分おきになったらもう一度電話して」などと言われ、まるでのらりくらり逃げる国会答弁のようです。また電話を受けた Triageナースによっても対応は異なるそうです。ある人は最初の電話ではまだだめと言われ、1時間後にかけた電話では別のナースから「何で今まで電話しなかったの?」と言われたそうです。病院に行ってからもまだ安心はできません。最初はTriageの部屋に通され分娩監視装置で陣痛をモニタされます。この部屋は診察設備は病室とほぼ同じですが、実際の病室ほどは快適ではありません。何せここで陣痛が充分でないと自宅に戻されてしまうのです。出産前に3 回も自宅と病院を行き来したという話も少なくありません。病院までの道すがら、

妻 「もし陣痛モニタで陣痛が5分おきでなくなっていたらどうしよう」
旦那「そのときはモニタを手で押して無理やり5分おきにしてやる」
人生押しが肝心だ〜。でも幸いにしてその必要はありませんでした。

ED入口。正面玄関に比べればとても小さいのですが入院当日は頼もしく見えました。

<こぼれ話>
妻は病院との電話の最中に運良く(笑)陣痛が来て「痛くてしゃべれないからちょっと待って」と叫んでいました。さすがに相手も3分おきになってからとは言えなかったようです。すかさず「熱いシャワーももう浴びたわよ」と先手を打っていた妻がとても頼もしく見えました。
来院許可をもらい出発しましたが、車に乗ってからも当然陣痛がありますからそのたびに車を止めて様子をみていました。このあたりの交通事情だからできることですね。都会で暮らすのはたいへんそうです。
電話から1時間後無事ED前に到着。入り口の「Patient Entrance Emergency & Maternity」という看板が何だか妙に頼もしく見えます(写真)。車まで係の人が車椅子で迎えに来てくれます。初めて乗った車椅子は結構快適でした。EDの受け付けで名前を告げると簡単な入力手続の後すぐに5階の産科病棟に連れて行ってくれます。ここまでは病院ツアーの説明どおりで安心。病棟入り口でもう一度受け付けを終えてTriageの部屋に通されます。着替えもすませ陣痛監視装置で5分おきに陣痛が来ているのを確認してもう一安心。でもまだこれから試練があります。聞いた話では、triageの部屋で「あなた、今comfortable?」と聞かれたので、受けた処置が有効かどうか聞いているものと思い、お世辞も含めて「Yes」と答えたら、「じゃあ、何で入院してるのよ。しんどくなってから出直してくれば?」と帰されそうになった人もいるとか。全く最後まで気が抜けませんね、この国は。

9. 病院の設備−言うことなし

最近は日本の産科病棟もなかなかよくなってきたようですが、アメリカの産科病棟の設備は快適でした。何よりもまず妊婦がベッドに寝たまま、ほとんどのことができるように工夫されています。テレビだけでなく室内照明のONOFFや照度調整まで、すべてベッド柵のスイッチで可能です。ベッドの傾き調整ボタンやナースコールもベッド柵に着いているので、日本のようにコードのついたボタンが点滴のラインと錯綜することもなくたいへん便利でした。この類のベッドは日本にももちろん輸入されていますが、1台ン百万とかなりお高いので使っている施設は少ないと思います。科学技術で自分達の生活を便利にする(手抜き?)ことについてはこの国は貪欲ですね。電話も各部屋についているので知り合いへの連絡も生まれて1時間以内にすることができました。部屋にはテレビ、電話もあり、これで冷蔵庫があれば完璧でした。

こちらの産科の病室はLDR(Labor Delivery Recovery;分娩出産回復の略)といって同じ個室ですべてを行うのですが、これも妊婦にとってはいいシステムだと思います。以前から、陣痛が来ている最中にあちこち動かされ分娩台の硬いベッドの上で何時間も気張るというのはちょっと可愛そうだなと思っていました。正直言ってあの分娩台は居心地が悪そうです。部屋のデザインも入り口を入ると少しの距離ですが細目の通路状になっていて突然ドアを開けても外から中の様子が見えないように配慮してあります。どんなに大声を出してもどんな格好をしていても個室だから気にすることもなく思う存分気張れそうです。

出産直後の食事にはステーキが出たと言う記事をネットで読んでいたのですが、Dukeでは普通のお食事でした(そのほうがありがたかった;妻談)。実は毎日お昼を食べているカフェテリアの食事が出たら嫌だなと思い一応テイクアウトの食事も用意して行ったのですが、それよりは美味しい料理をいただけました。

病室のベッド。手すりのスイッチですべてコントロールできます。奥のモニタが分娩監視装置。

ベッド

<こぼれ話>
出産前の病院見学ツアーで出産する部屋を見た時、お風呂がジャグジーになっているのを見て旦那は内心喜んでいました。我が家は二人ともとても風呂好きで、知り合いのアパートにジャグジーがあると聞くと入れてもらいにいったほどです。アメリカでの生活はこの点とても不満です。
妻は初産だしそこそこ年齢も高いので(ゴメン)出産までには時間がかかるだろう。その間、旦那は入浴剤入りのジャグジーにでも浸かってビールでも飲むベエ、と企んでいたのでした。ところがよく聞けばこのジャグジー風呂は「陣痛散らし」に使うんだとか..それに入院後は分娩に向けていろいろ手伝うことが多く、スタッフも時間をおかず訪問するのでとてもそんな余裕はありません。出産では一緒に興奮してしまい、その後は疲れきっていたのでジャグジーに入ろうなんて気持ちにはなりませんでした。ちょっと残念。

10. 無痛分娩−痛いか痛くないか?

我が家は必ず無痛分娩にしようと決めていました。一つには痛くないほうがいいに決まっているから、もう一つには職業的興味からでした。日本で無痛分娩と呼ばれている方法にはいろいろあります。というのも日本では無痛分娩をする医者が必ずしも麻酔科医に限られていないからです。当たり前ですがこちらの麻酔科医のやったことは私達(日本の麻酔科医)のやっていたこととほぼ同じでした。麻酔科医の行う無痛処置は硬膜外麻酔という方法で、背骨の傍に直径1mm足らずのチューブをいれて(次項の写真参照)、そこから鎮痛薬を注入する方法です。そうすると腹巻状に痛みがなくなります。この方法だと意識がはっきりした状態で眠くもならず、かなり理想に近い状況で出産を迎えられます。注射の場所は腰骨の高さより少し頭側の背骨付近で、もちろん、皮膚の局所麻酔はきちんとするので痛みはほとんどありません。

最初はあえて黙っていたのですが、麻酔科医がいざ注射をしようとした時に初めて、「実は打ち明けると妻は同業者なんだよ」と告げると、さすがに驚いたのか、「そんなことは先に言ってくれ!」とちょっと焦っておりました。

こんな仕打ちにもめげず、ものの2,3分で見事に鎮痛用のチューブを入れてくれたので、帰り際に「見事な腕前だね、妻と同じくらい早かったよ」と誉めてあげました。ちょっとイヤな奴だと思われたことでしょう。後でお返しが来ようとはこのときはまだ誰も知りません。

チューブからはたいていの場合、歯の治療をする時と同じ麻酔薬と強力な鎮痛薬(麻薬が多い)のカクテルを持続的にポンプで流し続けます(写真)。痛みというのは非常に個人差が大きいもので、鎮痛薬の匙加減が麻酔科医の腕のみせどころでもあるのですが、最近は患者自身が自分で痛いときに痛み止めを注入できる便利な機械が出回っています。先のポンプがそれで、ナースや医者を待つことなく患者自身の判断で追加投与できるなかなかの優れものです。過剰投与や誤投与を防ぐための安全システムも装備されています。

無痛分娩の効果に対する評価はひとそれぞれです。陣痛の程度がもともと非常に個人差が大きいので当たり前でしょう。妻に関しては快適な分娩I期を提供してくれました。II期の子供が産道を下ってくる過程では、先のチューブの鎮痛領域から外れてしまうので、どうしても効果は薄れます。しかし、この時期麻酔が効きすぎると「いきむ」力を麻酔が弱めてしまうので麻酔が効きすぎるのは歓迎できません。I期を快適に過ごせたおかげで妻は体力が温存できたと喜んでいます。分娩後3時間で室内トイレまで自力歩行し(実はあとで失神したんだけど・・妻談)、翌々日には予定通り退院できました。

分娩用医薬品セット(左)と鎮痛薬注入用ポンプ(右)

医薬品

<こぼれ話>
分娩II期に入って陣痛がかなり強くなったので、旦那の勧めで麻酔科医を呼び別の追加薬を頼みました。先のチューブを入れたのと同じ医者が来たのですが、痛くないようにと、たっぷり注射してくれました。おかげで瞬時に痛みは消え去りましたが、予想通り全くいきめなくなりました。妻曰く、「自分でもアノ場所がどこにあるのかわからないくらい」効いてしまいました。当然、本人は必死にいきんでもある時点から子供は降りてこなくなり、産科医は1時間程度休んだらもう一度トライしましょう、と諦めムード。そしていきみ始めて4時間後皆もだんだん疲れてきた時、産科医はついに「あと30分頑張ってダメなら吸引してみましょうね。」と言いました。とたんに妻の鼻息がブモーッと聞こえたかと思ったら、もの凄い勢いでいきみ始めました。それまでけしかける専門だったナースが一転「そんなに頑張らなくても」となだめるのも聞かず、陣痛が来る2分おきに4回×10秒ずつ(普通は3回)いきんでいます。その甲斐あってか(ほとんど専門家の発言とも思えませんが)徐々に麻酔も弱まっていきアラ少しいきめるようになったかしらと思ったら、あっという間に子供の頭が見え始めました。慌てて産科医が手洗いを始めるのをよそに、相変わらず規則正しいペースでいきむ妻。最後は産科医が手袋をつけて手を差し出したのと、子供が出てきたのがほとんど同時でした。旦那はお決まりの「へその緒チョッキン」もできて満足。
あの麻酔科医は“同業のよしみ”ということで気を利かせてくれたのかもしれません。それともひょっとして旦那の意地悪な仕打ちへの逆襲だったのかも?

11. 出産−こりゃほんとに大変だ

このあたりの話はたくさんの参考書があるのでいまさらお話する必要もありませんが、面白かった点だけを書きます。

まず、いきむ時ですが、Dukeでは足を乗せる台は最後の最後まで使いません。また、手でベッド柵をつかむことも勧めません。「すべての気持ちをいきみに集中させるために」自分で太腿を抱えさせていきませます。足載せ台が出てきたのは子供の頭が半ば見えてからでした。それまでは片足を旦那、もう一方をナースが抱えてくれます。いきむ時は付き添い者が10数えます。その間中妊婦はいきみつづけます。ナースはせーので「Push,push, push, push, …」と掛け声をかけてくれます。はっきり言って戦場でした。

次に出産時ですが、聞いていたとおり、下半身はずっと丸出しです。妻は前からこの点をずっと気にしていて、そのときなったらシーツで隠してねと頼まれていたのですが、いざその場になると陣痛ごとに隠したりはずしたりする余裕はありませんでした。部屋中がなんともいえない緊張感に包まれ、愛妻が剥き出しでいようともはや関係ありません。とにかく早く出てくれというそれだけでした。

テレビのチャンネルにTLCというのがあって、そこでアメリカでの出産の様子を放送しています。妻はいざというときの英語の勉強とばかりに38週くらいからちょくちょく見ていたのですが、その中で驚いたのはアメリカ人が旦那の友人たち(男性)を部屋に入れて出産している様子です。コメントのしようがありません。ちなみに我が家はもちろん家族だけでした。

出産後1時間の写真。妻の左肩に見える細い管が鎮痛薬を流すためのチューブ

産後

<こぼれ話>
いきみで10数える時、旦那は最初英語でOne、Two、Threeとやっていました。でも妻が頑張る姿を見て何とか応援したくて、途中から日本語のカウントに変わりました。後で聞くと「英語だと何か感じが出ないから」とのこと。そのくせ、必死にいきむ妻を横目に、旦那は最初のうちカウントするリズムを遅くしたり早くしたりして遊んでいました。ごめんなさい。
旦那は最初ただ数えるだけだったのですが、次第に感情移入してきて妻の「いきみ」と一緒に力が入るようなり、翌々日内股の筋肉痛を訴えていました。翌日でないあたりがトシですねえ。最初から最後まで付き合った感想は、「お産はほんとうに大変だ。」

12. 名前を付けよう!−この部分はすべてこぼれ話です

出産後しばらくして訪れた女性がある下書き用紙を渡し、「これに記入してくれたら私がタイプするわ」と言っていきます。タイプされた書類は控えの部分がいわゆるMother’s Copyで、出生証明書を発行してもらうための公的文書となります。この文書には当然子供の名前を書くので退院の日までには名前を決めておく必要があります。Webの姓名判断は使えました(http://www.babyname.jp/

出産前の買物でもそうですが、名前を決める上であらかじめ性別がわかっていればとても楽です。超音波で調べてもらったときも子供が全然じっとしてくれなかったので、男の子という証拠も女の子の証拠もどちらも得られませんでした。おそらく(90%くらい)女の子だろうということで女の子用の準備はしていましたが、男の子の場合の準備はさっぱりでした。特に旦那は女の子を希望していたので男の子については全然気合が入りません。

妻  「男の子だった時の名前も一応考えようか?」
旦那 「筋肉って書いて まする(Muscle)っちゅうのはどう?男らしいよ」
妻  「・・・。ミドルネームは?」
旦那 「うちのボスがDukeにしろって言ってたけど」
妻  「・・・・」

実は妻の入院時に当直をしていた産科のレジデントとは旦那はICUで働いていたときの顔見知りだったので、あつかましく「ちょっと超音波で見てくれない」と頼んでみました。このくらいの時期の医者は「何でもしたい」年頃なのできっとOKしてくれるとの予想からです。彼女は少し驚いたようでしたが、二つ返事で引き受けてくれました。しかし、またしても良くわからず答えは出産までお預けとなりました。女の子が出てきた時、旦那は全身でガッツポーズをしていました。変な名前にならなくてよかった(妻談)。
5ヶ月時の我が子の様子。

写真上がお腹側、下が背中側(白く光っているのは背骨)、右が頭。ほぼ中央に黒く抜けている部分が心臓。

ウルトラサウンド

13. 退院の日−なのにお昼ご飯?

いよいよ退院の日です。繰り返しますが丸48時間で退院です。しかも次の日には生後3日の新生児検診に再び病院に来なければなりません。当日は48時間という時間制限も気になっていたし、Webのページではまだ痛いと言っているのに時間だからと追い出されたという話もいくつか見たので、さぞかし慌しいだろうと荷造りなどは前の夜から準備万端でした。予想通り朝は6時から医者の回診が始まりました。

まず産科医が母親の様子を見に来た後、次に小児科医が子供を見に来ました。その後、麻酔科医が来てしびれ・吐き気など麻酔の副作用がないかを調べました。ナースも何人かが入れ替わり立ち代りチェックに来ます。最後にはなぜか精神科の臨床研究(Maternity Blue)への参加依頼まで来て9時まではいわゆる病院の都合でどんどん時が進みました。これらのチェックがすべてOKだと最終的にもう一度産科医が来て退院手続のGoサインが出ます。幸いにして子供にも何の異常もなく、妻の出産後の痛みは鎮痛薬でなんとか治まっていたので、48時間の入院で帰宅できました。退院の時にはお出かけに便利な授乳セットをくれました(写真)。最後の最後に大騒ぎもあり、なかなか印象深い3日間でした。

お出かけ用授乳セット。バッグには搾乳保存容器、水筒、粉ミルクが入っていました。

授乳セット

<こぼれ話>
実は退院前に一悶着ありました。あれだけ出入りが慌しかったのに9時を過ぎてからどうしたことかパッタリ誰も来なくなりました。出生証明書用のタイプ原稿も取りに来ません。11時が病院の希望する退院時刻と聞いていたので妻は10時から化粧までして(もちろん記念撮影用)待っていたのですが、11時になっても誰も来ません。ようやく11時半ごろ早口でしゃべりまくる産科医が現れ、簡単な診察の後、遅れたことを謝って帰っていきました。さあこれで帰れると思いきや、またしても30分以上待たされ、やっと現れた(というか通りすがった)ナースに「いつ退院できるの」と聞いたら、「ペーパーワークが終わったらすぐだから」といわれ、さらに待つこと1時間半。妻はかなりイライラしている様子。ノックの音とともに何とランチが届けられました。このとき旦那の耳には確かに「ブチッ」というものすごい音が聞こえましたが怖くて振り返れませんでした。程なく、さきほどのナースが書類を片手に入ってきたとたん、横にいた妻がすっくと立ち上がり、「I wanna go home right now !!! What’s happening here !!!!」
と叫んだものだからナースは腰を抜かさんばかりに驚き、しどろもどろになりながら必死に妻に謝っていました。その英語を聞きながら、旦那は僕達の英語ってこんな感じかなあとぼんやり考えていました。どうやら最後に現れた産科医の最終チェックが遅れたのがすべての原因のようですが、それにしても何の説明もなくほうっておかれるとは。でもあのナースにはとんだとばっちりでした。

14. いざ退院−やっと家に帰れた!

いろいろありましたが、退院許可が出て旦那は車を取りに行きました。あれだけ待たせておきながら「車は15分以内に玄関前に持ってきてね」とクギを刺され、ちょっとムッとしつつもこの機会を逃したらあと何時間遅くなるかわからんと、返事もおろそかにダッシュで部屋を出て行きました。

玄関までは妻を車椅子で連れて行ってくれます。子供は妻がダッコしていきます。お迎えの車椅子も旦那が出て行った数分後には部屋に到着しました。この辺は段取りよく進んでいきました。

旦那は言われていた病院前の駐車場ではなくちょっと遠いところにある仕事用の駐車場に車を停めていたので汗だくになりながら猛ダッシュで車を運んで戻りました。たった2日の入院だし、いざとなれば家まですぐ取りに帰れるので荷物は少なくしていったはずなのですが、玄関前に出てきた妻を見て唖然としました。持ってきたボストンバッグとデイバック以外に4つもバッグが来ています。いったいどういうこと?と思いつつ、とにかく車に乗せていざ出発。時間はすでに午後3時半になっていました。15分の慎重なドライブでしたが、子供も初めてのカーシートに機嫌を損ねる様子もなく無事我が家に到着。ああ、やっと家に帰れたというのがその時の実感でした。
増えていた荷物の謎については次の「こぼれ話」で。

「夢にまで見た」自宅。やはり我が家が一番!

我が家

<こぼれ話>
妻は母乳で育てたいと思っていたのですが、最初の2日はうまくおっぱいをあげられず、乳首が痛くてほとんど半泣きの状態でした。それでも我が子はお腹をすかして泣く、泣く。そこで1,2回だけでも乳首を休めればいいのではと、ナースにフォーミュラ(人工乳)をくれるよう頼んでみたところ「そんなことしたらおっぱいが出なくなるから駄目よ。頑張りなさい」と取り付く島もありませんでした。前の章で書いたとおり、退院の日に妻からタンカを切られてびびったナースが、何とか怒りを静めてもらおうといろいろな貢ぎ物を持ってきたのですが、その中にあったのが何と大量のフォーミュラでした。何という無鉄砲な人たち、火に油を注ぐようなものではないかと旦那は一瞬ヒヤっとしましたが、妻は「一発怒ってすっきりしたから別にもういいわ」とあっさりしたものでした。他にも何かもらったの?と聞いたら、ディスポーザブルの乳首や哺乳瓶などいろいろとありました。くれるというものはほとんどもらってきたそうですが、一つだけ断ったのが「イブサンローランのパンティ3枚セット」だったそうです。「普通のアメリカ人はちょっとFatだからあたしは勧めないんだけど、あなたはSkinnyだからきっと似合うわよ。要らないの?」としきりに勧めていたそうです。ちょっと見たかった..(旦那談)

15. 出産後の痛み−薬について

我が家は夫婦揃って薬を飲むのが大嫌いです。風邪薬など熱でも出て倒れない限りはめったに口にしません(気合で直します)。アメリカ人は痛みに対しては非常に気軽に鎮痛剤を使用します。TVのコマーシャルでも小学校の先生が子供に悩まされて頭がイタイとTyrenolを飲むシーンがあり(おいおい、その痛さは違うでしょうが!)驚かされます。当然、出産後の痛みに対してもまずイブプロフェン(Ibuprofen)の「50錠入り」をくれました。それ以外には、

・ 会陰部の痛み
会陰部縫合による痛みにはまず「Tucks」というパッドをくれました。これは「ぢ(痔)」の時にも使えるようです。ウェットティッシュ−の分厚いようなもので、Witch Hazel(アメリカマンサク)の抽出液が混ぜてあるそうです。当てておくと冷たくて気持ちがいいそうです。
また、「Epiform(1%hydrocortisone+1%pramoxine、要処方箋)」という外用スプレーもくれました。痛み止めスプレーのようでパッドに吹き付けて使います。

・ 乳首の痛み
乳首が(切れて)痛い時にはPureLanという塗り薬をくれました。これは子供が飲んでも大丈夫なので授乳の際に拭き取る必要がありません。でも、基本的にはおっぱいをうまく赤ん坊の口に含ませることと、休ませることが痛みには効果的だったようです。

これが噂のドーナツ座布団。お世話になりましたっ。

座布団

<こぼれ話>
「妊娠出産を通して一番役に立ったものは?」
この質問への答えはまちがいなく「ドーナツ座布団」です(写真)。日本から取り寄せるほどでもなかろうと高をくくっていたのが運の尽き。出産後ちょっと座りたくてもお尻が痛くて、疲れているのに立っていなければならないのにはまいりました。もうどうしようかと思っていたある日、近所のEckerdでたったの$10で売っているのを旦那が見つけてきました。それからはシヤワセな毎日です。日本から訪ねてきたお客さんに食事に誘われた時も、妻は迷わず持っていきました。財布は忘れても座布団は忘れるな!がしばらく合言葉でした。会陰部の痛みが強い間は恥ずかしがることなくどこへでもドーナツ座布団を持ち歩きましょう。ちなみにEckerdには2種類のドーナツ座布団を売っていましたが、こちらはビニール製で膨らみが調整できるタイプのものです。しばらくは毎日プールに通っているようでした。

16. 子供が生まれてからのいろいろ

臨月が近づき仕事を休んだ妻は近所のアメリカ人と時折話をしていたそうで、「子供が生まれたらちゃんと家の前のアパートの入り口に風船をつけるのよ。男の子はブルー、女の子ならピンクだからね」ときつく指導されていました。そこで病院からの帰り道、近くのKrogerに立ち寄って風船を買いました。旦那はよほど嬉しかったのかたくさんの風船を抱え、ニコニコしながら出てきました。「これは玄関用、これはアパートの入り口用、これはリビングでこっちはベビーベッドにつけよう。」風船を見て2日間は近所の人がお祝いにきてくれました。いつも手を振るだけで会話を交わしたことがない人まで来てくれたのが嬉しかったです。日本人の友人達も次々にお祝いに駆けつけてくれました。産後の世話で疲れ気味の妻でしたが、久しぶりの楽しい雰囲気に疲れも吹き飛んだようです。

さてその後の手続として、子供の医療保険は加入している保険会社に連絡して加入者(我が家では妻)のDependentにしてくれと連絡します。

肝心要の出生証明書は手渡された書類には10日で準備できますとありましたが、なんと出産翌日にはもう入手可能でした。郵送での取り寄せも直接取りに行くことも可能です。Durhamの事務所はDurham County Health Department, 414 E. Main Stです。このあたりは一方通行地獄なのでご注意ください。Vital Recordsのオフィスはビルの地下一階、階段を下りて踊り場を出たら右手にあります。発行には申請者のPhoto IDが必要で費用は1部あたり10ドルです。

RaleighのVital Records Sectionでも手に入りますが、こちらは発行までの準備期間が少し長いようです(書面では出生後90日以降)。

日本国籍を保持する場合は3ヶ月以内にアトランタ総領事館まで出生届を出さなければなりません。帰国の際には原則として日本のパスポートが不可欠ですから日本で戸籍が取れたら戸籍抄(謄)本を取り寄せ作成します。なお、パスポートの受け渡しには本人確認のため必ずお子さんを受け渡し場所まで連れて行かなければなりませんが、年に一度NC各地で総領事館の一日出張所サービスがありますから利用できれば便利です。

また帰国時はアメリカのパスポートも必要ですから、さきほどの出生証明書をもってダーラムの郵便局(Durham Main Office, 321-4530, 323 E Chapel Hill St)まで行きます。パスポートの申請書類自体は地域の公的機関(市役所、郵便局、裁判所など)やAAAのオフィス(3909 University Drive, 489-3306)などにありますが、下記からダウンロードも可能です

US Department of StateのHP;http://travel.state.gov/passport_services.html
ダウンロードのページ;http://travel.state.gov/DS-0011.pdf (印刷時写真の部分のサイズが変わらないようご注意ください)

(管理者による修正: 2013年2月18日現在、http://travel.state.gov/passport/forms/ds11/ds11_842.htmlでパスポートを申請します。)

パスポートの有効期限はアメリカでは15歳以下(日本は未成年)の場合5年ですから、21歳(国籍を日米どちらかに決定する期限)まで3、4回は書き換えることになります。なおアメリカのパスポート申請にはSSNが必要です。SSN申請書類は病院でつくってくれたので私たちは何もする必要がありませんでした。SSNが届くまでには60〜90日かかります。

It’s a girl風船とうちの子

赤ちゃん

<こぼれ話>
育児休暇は1週間もらいました。中には「2週間くらい休むの?」と聞いた人もいたのできっとその位休む人も多いのでしょう。その間妻は子供の世話に集中し、旦那は妻のフォローに専念しました。旦那は最初何をしていいかわからず、ただただ妻のまわりをウロウロするばかり。挙句の果てにはおっぱいを口に含むのが下手な我が子を見ながら自分も一緒に口をあける始末。そういえばこの人、オリンピック放送でスキーのモーグルを見ながら選手がジャンプするたびに自分も体を動かしてたわと思い出す妻でありました。
旦那は友人がくれた小柄な大人ほどもありそうな大きな大きなコウノトリの風船には大喜びでした。しばらくするとガスが抜けて風船は落ちてきてしまうのですが、旦那はお気に入りの風船が捨てられず今も床の上でユラユラ揺れています。

17. 最後に

妊娠・出産を通じて暖かく見守ってくれた友人たちは何よりもありがたい存在でした。妻の妊娠が知られるようになってから、知人から日本の「たまひよブック」をいただいたのですが、妊娠出産に関する情報誌としては非常にいい本でした。それ以外にも出産準備として数々のご支援をいただきました。また、出産後の辛かった時期にさまざまな形で援助していただいたことに対しても何とお礼をいっていいか、とても一言では尽くせません。日本では近所付き合いもだんだん少なくなる傾向ですが、私達夫婦には数多くの友人に支えられ無事子供を出産できたことが何よりの喜びです。

チャペルヒル・ダーラムの皆さん、心から感謝いたします。ありがとうございました

家族